4月と6月の2回にわたって復元になった、東京駅丸の内駅舎とその周辺を
散策したので紹介します。
すべての写真はクリックで拡大します
1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、
諸外国にも例を見ない壮麗なルネッサンス様式の外観、鉄骨煉瓦構造は関東
大震災にも耐えました。しかし、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと
屋根・内装を焼失。
戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎にして復興し、長年親しまれてきました。
復元なった東京丸の内駅舎全景 パノラマ合成写真
マウスをおくと拡大します
復元にあたっての建設費は空中権を周辺のビルに販売することで捻出しました。
2007年に保存・復元工事を開始して、2012年10月1日に完成しました
南北ドーム見上げ装飾
今回の第一の見どころは創建当時の南北にあるドーム型屋根に復元したことです。
内部から見上げると壮大な八角形のドーム状の天井に飾られた装飾品が目に飛び
込んできます。
①クレマチスレリーフ
②鷲レリーフ
③剣と鏡のレリーフ
④秀吉の兜をモチーフにしたキーストン
⑤干支のレリーフ (丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥)
⑥鳳凰、動輪と矢束のレリーフ
壁は漆喰塗り、装飾類は石膏にガラス繊維を混ぜて補強してある
写真にある各番号をクリックするとズームして見えます。
もしズームしない場合は下記のURLからお試しください。
asahi-yu.net/sub_group1/toukyo_zoom/zoomy.html


新装になった 東京ステーションホテル内部
外壁
壁は構造レンガを交互に積み上げているが、その表面には15mmの厚さの化粧レンガ
を張り付けている。
色合いは創建時と同じにしているが、創建時のものは年月とともにやや白みを帯びてい
る。そのため2階以下の壁と3階では境目が写真からも見て取れる。
なお、窓枠については当初木枠であったが、戦後の修復工事で鋼製に替えられた。
今回は、白色に塗装されたアルミ製(フッ素樹脂塗装)であるが、メーカーは木の風合い
を出すのに「岩手銀行」を視察し、試行錯誤を重ねて製作したそうです。
花崗岩
窓の上下部分や柱頭飾りなどには稲田(茨城県)産、腰壁・玄関周りには北木島(岡山県)
産の花崗岩が使用されている。
また柱頭飾り(写真の黄色の矢印部分)は戦災復興工事の際に2階部分に移設していた
が、今回の復元工事で元にあった3階部分に戻した。
注釈:茨城県稲田町は1958年2月に笠間町に編入されて消滅、さらに8月に笠間市に
市制施行となった。
岡山県北木島(きたぎしま)は笠岡市笠岡港から26kmの笠岡諸島の中央に位置
する周囲18.3km、面積7.49k㎡で人口1,027人「北木御影石」として有名で、
日本銀行本店、三越本店、靖国神社大鳥居などの建造物にも使用されている。
パラペット(胸壁)
徳利形のヘラ絞りで作成された銅製のものが並べられている。
仕上げは銅そのものの色合いであるが、経年変化で将来は酸化して緑青がわいて風合い
を増していくだろう。
屋根
屋根の棟や尖塔は銅板葺とで仕上げている。
屋根の中央部は創建時のものと同様宮城県雄勝産の天然スレートと銅板の構成で葺か
れている。南北ドームは戦後の改修した時に使用した登米産を使用している。
注釈:雄勝町(おがつちょう)は宮城県北東部の太平洋に面しているが2005年の市町村
合併で石巻市になった。
天然スレートのほかに硯が国内産の90%を占めている。
登米市(とめし)は、宮城県の北東部に位置し、北部は岩手県に、西部は栗原市に、
南部は石巻市及び遠田郡に、東部は本吉郡に接し、登米市の面積は536.38km2で、
県全体の7.36%を占めている。
擬石(ぎせき)
擬石とはセメント・顔料・砂・砕石などの
材料を混合して、天然石に似せて造った
人造石をいう。
すなわち、ここでは花崗岩粉に石灰・セメ
ントを調合して、左官仕上げしている。
写真から見てわかるように、帯型(バンド)
や柱形、各階の窓廻りに使用している。
東京駅丸の内駅舎南側 全景パノラマ合成 (マウスで拡大)
東京中央郵便局 (KITTE)
1931年建設された日本最大の中央郵便局
はJPタワーの低層6階建てとし、局舎を一部
保存・再生して3月21日にOPENした。
ビルの中央は吹き抜けになっています。その
周囲には98の店舗が取り囲んでいます。
4月初めに行ったときはオープンして間もなく、休日のせいか大変混雑していました。
中央フロアが吹き抜けなので各階の様子が伺えます。
屋上は1,500㎡の芝生で敷きつめられた庭園。
実は4月は風が強くて、屋上に上れませんでしたが、6月は念願かなって、東京駅舎を
上から見渡せました。上から見るとドーム全体が見えます。
皇居東御苑
4月は桜がまだ少し残り、つつじなど花々が咲き誇っていましたが、6月はほとんど
咲いていませんでした
富士見櫓 櫓は倉庫や見張り防御の役割を担っていますが、昔は19もの櫓
があったが、現在は三つしか残っていません。また三重櫓はここだけです。
皇居正門石橋 明治20年架橋
二重橋と間違えられるが、本当は奥にある正門鉄橋がそれにあたる。
三菱1号館
鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルの設計は1894年丸の内の近代的オフィスビルの
第一号。
築後70年を経て解体され、そのあとは40年間普通のオフィスビルでしたが、2010年に
旧1号館に似せてレプリカ再建された。
建物の裏側は大きな庭園となっている。
明治生命館
1930年(昭和5年)9月に起工し、1934年(昭和9年)3月末に竣工した。
設計は東京美術学校(現東京芸術大学)教授岡田信一郎である。外観はコリント式
列柱が並ぶ古典主義的様式に則ったデザインである。
1945年(昭和20年)9月12日から1956年(昭和31年)7月18日までの間、アメリカ極東
空軍司令部として接収されていた。
1997年(平成9年)5月29日に昭和の建物として初めて国の需要文化財に指定された。
年末・年始および館内点検日を除く毎週土・日曜日に見学できます。
地上8階、地下2階の明治生命館

現在お客様相談カウンタがある一階は吹き抜けになっている。


応接室がいくつもある

健康相談室 建物模型
楠正成 銅像
「忠君愛国」のスターとして明治期に再評価されましたが、歴史の中でその評価が
たびたび変わっている。
別子銅山を開いた住友家が開山200年を記念として、高村光雲らにより作成され、
明治33年7月に完成した。



近くに「楠公レストハウス」があり、江戸料理ゆかりの食を味わえる。
「江戸エコ行楽重」は三重の重箱に江戸時代に発展し、現在受け継がれている味の
ルーツと現代の素材とを融合させ「江戸の味」を再現した弁当で、お勧めです。要予約。
和田倉噴水公園
和田倉地区にある噴水公園は継続性と新たな発展をテーマとしており昭和36年に
完成した高さ8.5mに吹き上げる大噴水を再整備し、新しく造られた高さ5.5m、
長さ30mの落水施設やモニュメントとを流水施設で結んでいます。

最後に
東京駅・丸の内界隈は歴史的重要文化財が多くあり、見どころが沢山あります。
それはまた、現代に合わない、機能性が悪い、土地の有効利用が悪いなどの現実的な
問題もあります。
久しぶりに訪れた街は建設ラッシュでした。旧と新の融合、文化財の保護も重要な課題
です。
過去の歴史を踏まえ、記事を参考にしていただき、変遷している丸の内界隈をたまには
訪れてみてはいかがでしょうか。
幹事 菊地
散策したので紹介します。
すべての写真はクリックで拡大します

1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、
諸外国にも例を見ない壮麗なルネッサンス様式の外観、鉄骨煉瓦構造は関東
大震災にも耐えました。しかし、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと
屋根・内装を焼失。
戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎にして復興し、長年親しまれてきました。

復元なった東京丸の内駅舎全景 パノラマ合成写真
マウスをおくと拡大します
復元にあたっての建設費は空中権を周辺のビルに販売することで捻出しました。
2007年に保存・復元工事を開始して、2012年10月1日に完成しました

南北ドーム見上げ装飾
今回の第一の見どころは創建当時の南北にあるドーム型屋根に復元したことです。
内部から見上げると壮大な八角形のドーム状の天井に飾られた装飾品が目に飛び
込んできます。
①クレマチスレリーフ
②鷲レリーフ
③剣と鏡のレリーフ
④秀吉の兜をモチーフにしたキーストン
⑤干支のレリーフ (丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥)
⑥鳳凰、動輪と矢束のレリーフ
壁は漆喰塗り、装飾類は石膏にガラス繊維を混ぜて補強してある
写真にある各番号をクリックするとズームして見えます。
もしズームしない場合は下記のURLからお試しください。
asahi-yu.net/sub_group1/toukyo_zoom/zoomy.html







新装になった 東京ステーションホテル内部
外壁
壁は構造レンガを交互に積み上げているが、その表面には15mmの厚さの化粧レンガ
を張り付けている。
色合いは創建時と同じにしているが、創建時のものは年月とともにやや白みを帯びてい
る。そのため2階以下の壁と3階では境目が写真からも見て取れる。
なお、窓枠については当初木枠であったが、戦後の修復工事で鋼製に替えられた。
今回は、白色に塗装されたアルミ製(フッ素樹脂塗装)であるが、メーカーは木の風合い
を出すのに「岩手銀行」を視察し、試行錯誤を重ねて製作したそうです。
花崗岩
窓の上下部分や柱頭飾りなどには稲田(茨城県)産、腰壁・玄関周りには北木島(岡山県)
産の花崗岩が使用されている。
また柱頭飾り(写真の黄色の矢印部分)は戦災復興工事の際に2階部分に移設していた
が、今回の復元工事で元にあった3階部分に戻した。
注釈:茨城県稲田町は1958年2月に笠間町に編入されて消滅、さらに8月に笠間市に
市制施行となった。
岡山県北木島(きたぎしま)は笠岡市笠岡港から26kmの笠岡諸島の中央に位置
する周囲18.3km、面積7.49k㎡で人口1,027人「北木御影石」として有名で、
日本銀行本店、三越本店、靖国神社大鳥居などの建造物にも使用されている。
パラペット(胸壁)
徳利形のヘラ絞りで作成された銅製のものが並べられている。
仕上げは銅そのものの色合いであるが、経年変化で将来は酸化して緑青がわいて風合い
を増していくだろう。
屋根
屋根の棟や尖塔は銅板葺とで仕上げている。
屋根の中央部は創建時のものと同様宮城県雄勝産の天然スレートと銅板の構成で葺か
れている。南北ドームは戦後の改修した時に使用した登米産を使用している。
注釈:雄勝町(おがつちょう)は宮城県北東部の太平洋に面しているが2005年の市町村
合併で石巻市になった。
天然スレートのほかに硯が国内産の90%を占めている。
登米市(とめし)は、宮城県の北東部に位置し、北部は岩手県に、西部は栗原市に、
南部は石巻市及び遠田郡に、東部は本吉郡に接し、登米市の面積は536.38km2で、
県全体の7.36%を占めている。



擬石とはセメント・顔料・砂・砕石などの
材料を混合して、天然石に似せて造った
人造石をいう。
すなわち、ここでは花崗岩粉に石灰・セメ
ントを調合して、左官仕上げしている。
写真から見てわかるように、帯型(バンド)
や柱形、各階の窓廻りに使用している。





東京駅丸の内駅舎南側 全景パノラマ合成 (マウスで拡大)



東京中央郵便局 (KITTE)

はJPタワーの低層6階建てとし、局舎を一部
保存・再生して3月21日にOPENした。
ビルの中央は吹き抜けになっています。その
周囲には98の店舗が取り囲んでいます。


4月初めに行ったときはオープンして間もなく、休日のせいか大変混雑していました。
中央フロアが吹き抜けなので各階の様子が伺えます。


屋上は1,500㎡の芝生で敷きつめられた庭園。
実は4月は風が強くて、屋上に上れませんでしたが、6月は念願かなって、東京駅舎を
上から見渡せました。上から見るとドーム全体が見えます。




皇居東御苑




4月は桜がまだ少し残り、つつじなど花々が咲き誇っていましたが、6月はほとんど
咲いていませんでした


富士見櫓 櫓は倉庫や見張り防御の役割を担っていますが、昔は19もの櫓
があったが、現在は三つしか残っていません。また三重櫓はここだけです。


皇居正門石橋 明治20年架橋
二重橋と間違えられるが、本当は奥にある正門鉄橋がそれにあたる。

三菱1号館
鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルの設計は1894年丸の内の近代的オフィスビルの
第一号。
築後70年を経て解体され、そのあとは40年間普通のオフィスビルでしたが、2010年に
旧1号館に似せてレプリカ再建された。


建物の裏側は大きな庭園となっている。


明治生命館
1930年(昭和5年)9月に起工し、1934年(昭和9年)3月末に竣工した。
設計は東京美術学校(現東京芸術大学)教授岡田信一郎である。外観はコリント式
列柱が並ぶ古典主義的様式に則ったデザインである。
1945年(昭和20年)9月12日から1956年(昭和31年)7月18日までの間、アメリカ極東
空軍司令部として接収されていた。
1997年(平成9年)5月29日に昭和の建物として初めて国の需要文化財に指定された。
年末・年始および館内点検日を除く毎週土・日曜日に見学できます。

地上8階、地下2階の明治生命館


現在お客様相談カウンタがある一階は吹き抜けになっている。




応接室がいくつもある


健康相談室 建物模型
楠正成 銅像
「忠君愛国」のスターとして明治期に再評価されましたが、歴史の中でその評価が
たびたび変わっている。
別子銅山を開いた住友家が開山200年を記念として、高村光雲らにより作成され、
明治33年7月に完成した。




近くに「楠公レストハウス」があり、江戸料理ゆかりの食を味わえる。
「江戸エコ行楽重」は三重の重箱に江戸時代に発展し、現在受け継がれている味の
ルーツと現代の素材とを融合させ「江戸の味」を再現した弁当で、お勧めです。要予約。
和田倉噴水公園
和田倉地区にある噴水公園は継続性と新たな発展をテーマとしており昭和36年に
完成した高さ8.5mに吹き上げる大噴水を再整備し、新しく造られた高さ5.5m、
長さ30mの落水施設やモニュメントとを流水施設で結んでいます。



最後に
東京駅・丸の内界隈は歴史的重要文化財が多くあり、見どころが沢山あります。
それはまた、現代に合わない、機能性が悪い、土地の有効利用が悪いなどの現実的な
問題もあります。
久しぶりに訪れた街は建設ラッシュでした。旧と新の融合、文化財の保護も重要な課題
です。
過去の歴史を踏まえ、記事を参考にしていただき、変遷している丸の内界隈をたまには
訪れてみてはいかがでしょうか。
幹事 菊地
2013.07.19 / Top↑
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