11月2日に「川越七福神めぐり」の下見に世話人の中山さんと一緒に歩い
てきました。
当日は小春日和で歩いていると汗ばんできます。上着を脱いで川越市街を
のんびりと歩けました。
川越市は東武東上線の急行に乗り、30分と思っていたより近場です。
駅の周辺はビルが建ち並び昔の面影がないほど発展しています。
市街地のメイン道路は東西、南北の方位角に沿って大体碁盤目に敷設され
ていて、現在地 から目指す方角が分かりやすくなっています。
川越駅に到着したのが10時42分。東口改札口を出て東南方向に10分ほど
歩くと「天台宗妙善寺」です。
ここには毘沙門天が祀ってあります。
建物は鉄筋コンクリート造りの近代的な建物で、階段を上った2階が本堂です。
妙善寺
二番目は寿老人がある「天然寺」です。
国道16号線沿いにあり騒音でにぎやかです。山門前の地面は変形して狭く、
多分国道の拡張工事で敷地を提供したようです。
境内にはきれいに浄化された池で悠然と鯉が泳いでいます。
本堂左には供養墓「十三仏偕同の塔」、慈母観音、仕事や受験、結婚などあ
らゆる願い事を叶える「願掛観音」があります。

天然寺 山門 天然寺 本堂
天然寺を出ると次は3番目の喜多院に向かうが、本日いちばん寺院間の移動
距離が長く喜多院の手前の中院までで20分ほどかかります。
天海僧正が来るまでは「中院」が中心であったそうな。

中院 武蔵国川越仙波喜多院・東照宮・中院之図
クリックすると拡大します。さらに見やすくする
のにはここをクリックして下さい
絵図は160年前の天保検図をもとにして鳥瞰図を描いたものです。
江戸初期の天海僧正時代には北・中・南の三院と東照宮、日枝神社を擁
する喜多院として日本文化史に重きをなしてきましたと書いてあります。
中院に続いて「仙波東照宮」があるが、徳川家康が死後、家康公の遺骸を日光に
運ぶ途中に喜多院で法要が営まれ、建立したのが東照宮です
仙波東照宮
境内を北方向に行くと喜多院に出ます。正式には「星野山無量寿寺喜多院」と
いいますが、平安時代の創建されたと伝えられています。
寛永15年(1638年)の火災後の再建したときに、江戸城から家光公誕生の間
や春日局の化粧の間が移築されています。ここには大黒天が祀っています。
残念ながら正月は7日まで休館で見学できません。
喜多院 多宝塔
境内には「五百羅漢」があり、天明2年(1782)から約50年もかけて製作された
と言われています。
全部538体の石仏があり人間味がある様々な表情をしています。
五百羅漢
一息入れてここの近辺で昼食を取る予定です。
4番目は恵比寿天は「成田山川越別院」にあります。喜多院から近くて3分ほどです。
成田山 恵比寿天
5番目の「蓮馨寺」は18分ほど西方向に歩いた先にあります。ここには福禄寿神を
祀っています。
天文18年(1549)に川越城主大道寺駿河守政繁が母堂連馨大姉のために
創建しました。
連馨寺山門 蓮馨寺本堂
蓮馨寺を出たら左方向は北に進むと蔵通りの町並みに入ります。大火で町が
全焼した経験から、土蔵造りの耐火建築が類焼を防ぐ目的で発達しました。
蔵造りの建物が並ぶ一番街は、平成11年12月に国の重要伝統建造物群
保存地区に選定されています。
蔵通りの中ほどにある「時の鐘」は400年前から時を知らせています。
現在のは4代目といわれています。
今も1日4回鐘の音を町に流しています。
時の鐘
ここで一服して七福神めぐりを一時中断して進路を東にとります。
15分ほど歩くと「川越城本丸御殿」です。
川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子に
築城させた城です。
川越城本丸御殿
川越城を後にして西方向は中央通りに再度歩を進めます。
「菓子屋横丁」に寄り道します。昭和初期の最盛期には70軒余りあったのですが、
現在でも20数軒残って昔懐かしい駄菓子を売っています。
ここからすぐに布袋尊の「見立寺」があります。
見立寺 布袋尊が祀らている
長時間歩いてきましたが最後は7番目の弁財天は妙昌寺を目指します。
妙昌寺 弁天堂
これで七福神めぐりが終わりました。後は川越駅に向けて新年会の会場探しです。
会場はいくつか見ましたが、クレアモールの通りにある居酒屋
「地もの海ものなかなか」にしました。
「第5回川越七福神めぐり」は来年の1月6日(金)に予定しています。
詳細な募集案内を書いていますので今しばらくお待ちください 。
幹事 菊地
てきました。
当日は小春日和で歩いていると汗ばんできます。上着を脱いで川越市街を
のんびりと歩けました。
川越市は東武東上線の急行に乗り、30分と思っていたより近場です。
駅の周辺はビルが建ち並び昔の面影がないほど発展しています。
市街地のメイン道路は東西、南北の方位角に沿って大体碁盤目に敷設され
ていて、現在地 から目指す方角が分かりやすくなっています。
川越駅に到着したのが10時42分。東口改札口を出て東南方向に10分ほど
歩くと「天台宗妙善寺」です。
ここには毘沙門天が祀ってあります。
建物は鉄筋コンクリート造りの近代的な建物で、階段を上った2階が本堂です。

二番目は寿老人がある「天然寺」です。
国道16号線沿いにあり騒音でにぎやかです。山門前の地面は変形して狭く、
多分国道の拡張工事で敷地を提供したようです。
境内にはきれいに浄化された池で悠然と鯉が泳いでいます。
本堂左には供養墓「十三仏偕同の塔」、慈母観音、仕事や受験、結婚などあ
らゆる願い事を叶える「願掛観音」があります。


天然寺 山門 天然寺 本堂
天然寺を出ると次は3番目の喜多院に向かうが、本日いちばん寺院間の移動
距離が長く喜多院の手前の中院までで20分ほどかかります。
天海僧正が来るまでは「中院」が中心であったそうな。


中院 武蔵国川越仙波喜多院・東照宮・中院之図
クリックすると拡大します。さらに見やすくする
のにはここをクリックして下さい
絵図は160年前の天保検図をもとにして鳥瞰図を描いたものです。
江戸初期の天海僧正時代には北・中・南の三院と東照宮、日枝神社を擁
する喜多院として日本文化史に重きをなしてきましたと書いてあります。
中院に続いて「仙波東照宮」があるが、徳川家康が死後、家康公の遺骸を日光に
運ぶ途中に喜多院で法要が営まれ、建立したのが東照宮です

いいますが、平安時代の創建されたと伝えられています。
寛永15年(1638年)の火災後の再建したときに、江戸城から家光公誕生の間
や春日局の化粧の間が移築されています。ここには大黒天が祀っています。
残念ながら正月は7日まで休館で見学できません。


喜多院 多宝塔
境内には「五百羅漢」があり、天明2年(1782)から約50年もかけて製作された
と言われています。
全部538体の石仏があり人間味がある様々な表情をしています。


一息入れてここの近辺で昼食を取る予定です。
4番目は恵比寿天は「成田山川越別院」にあります。喜多院から近くて3分ほどです。


成田山 恵比寿天
5番目の「蓮馨寺」は18分ほど西方向に歩いた先にあります。ここには福禄寿神を
祀っています。
天文18年(1549)に川越城主大道寺駿河守政繁が母堂連馨大姉のために
創建しました。


連馨寺山門 蓮馨寺本堂
蓮馨寺を出たら左方向は北に進むと蔵通りの町並みに入ります。大火で町が
全焼した経験から、土蔵造りの耐火建築が類焼を防ぐ目的で発達しました。
蔵造りの建物が並ぶ一番街は、平成11年12月に国の重要伝統建造物群
保存地区に選定されています。

蔵通りの中ほどにある「時の鐘」は400年前から時を知らせています。
現在のは4代目といわれています。
今も1日4回鐘の音を町に流しています。

ここで一服して七福神めぐりを一時中断して進路を東にとります。
15分ほど歩くと「川越城本丸御殿」です。
川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子に
築城させた城です。

川越城を後にして西方向は中央通りに再度歩を進めます。
「菓子屋横丁」に寄り道します。昭和初期の最盛期には70軒余りあったのですが、
現在でも20数軒残って昔懐かしい駄菓子を売っています。
ここからすぐに布袋尊の「見立寺」があります。


見立寺 布袋尊が祀らている
長時間歩いてきましたが最後は7番目の弁財天は妙昌寺を目指します。
「法真山妙昌寺」は永和元年(1375)、池上本門寺第四世日山上人が開創しました。
本堂の左脇を下っていくと「弁天堂」があります。
弁天堂の裏には赤間川(現在は新河岸川)があります。その昔、伊佐沼に流れ込
んでいた赤間川は度々氾濫し、沿岸に大きな被害をもたらしていました。そこで当
時の地頭が小石に一字ずつ法華経を書き、塚の中に埋め、そしてお堂を建て弁財
天を守護神と しました。すると以後洪水が起こらなくなったといいます。以来、「経が
島弁財天」と呼ばれるようになりました。


妙昌寺 弁天堂
これで七福神めぐりが終わりました。後は川越駅に向けて新年会の会場探しです。
会場はいくつか見ましたが、クレアモールの通りにある居酒屋
「地もの海ものなかなか」にしました。
「第5回川越七福神めぐり」は来年の1月6日(金)に予定しています。
詳細な募集案内を書いていますので今しばらくお待ちください 。
幹事 菊地
2011.11.08 / Top↑
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