今冬は寒暖差が激しい年でした。「山と渓谷の会」会員各位におかれましては、体調管理に気をつかい、春の訪れを待ちかねているのではないでしょうか。
お待たせしました、4月お花見のご案内です。
今年はさいたま市岩槻区にある「岩槻城址公園」です。岩槻城の歴史は室町時代にさかのぼります。
古河城にいた古河公方・足利成氏に対抗するため、長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝が太田道真・道灌父子に命じて築城させ、寛正五(1465)年に完成した。太田道灌の甥で養子となっていた図書頭資忠が下総臼井城の合戦で戦死した後、資忠の弟、資家が城主となった。大永五(1525)年二月、江戸城を攻略した小田原城主・北条氏綱は岩槻城を攻め、城主資頼の家臣・渋江三郎を内応させ岩槻城を占領した。城を奪われた資頼は一旦武蔵石戸に逃れたが、享禄三(1530)年九月、渋江三郎を討って岩槻城を奪還した。資頼から家督を受け継いだ資時は密かに北条氏と気脈を通じ、天文十五(1546)年の川越城をめぐる攻防でも北条氏に義理を立てて出陣しなかったが、資頼の次男、資正は上杉方に参陣した。この頃、資時が病死したため、資正が岩槻城主となった。
天文十五(1546)年の河越夜戦で北条氏が武蔵から上杉勢を一掃した後も、城主・太田三楽斎資正は孤軍奮闘、一時期北条氏の傘下に入り、結城城主・結城政勝らとともに常陸小田城主・小田氏治と山王堂で激戦を展開したりしたが、永禄三(1560)年、上杉謙信の関東出陣に呼応し、翌年の小田原城攻撃では先鋒として活躍した。
天正八年(1580)、北条氏政の三男・氏房が太田氏を嗣ぎ、岩槻城は北条氏の直轄となった。天正十四年(1586)以降、豊臣氏の上洛要請を無視したことで緊張が高まり、このときに大構え(惣構え)が拡張工事された。天正十八(1590)年の小田原の役では氏房は小田原城に入城し、岩槻城には城代・伊達与兵衛房実ら二千を置いたが、浅野長吉率いる二万の軍勢の前に激戦の末、降伏開城した。
家康が関東に入ると、譜代家臣の高力清長が二万石で岩槻城に入った。その後も江戸を守る要衝として青山・阿部・板倉・戸田・藤井・松平・小笠原・永井氏らの譜代大名の居城となった。江戸中期に大岡忠光が入り藩士が固定され、大岡氏八代のときに廃藩置県で廃城となった。
現在は一部が岩槻公園になっていが、肝心の本丸は住宅地域になってしまいました。もともとは元荒川周囲の湿地に浮かぶ城で、現在もわずかに沼地が残り、低湿地だったころの面影を残しています。
今も面影が残る城跡で、大いに呑み、一日のんびりと過ごしましょう。参加をお待ちしています。
岩槻城址公園イメージ
ホームページに下見報告がありますので参考にしてください
日時・・平成29年4月4日(火)10時15分東武野田線岩槻駅改札口前
JR大宮駅から乗り換えて12分で到着です。
雨天中止 (当日雨の場合はメールまたは朝7時までに電話をいたします。
それより早く家を出る方は電話をください)
行程・・岩槻駅発(10時20分発)→東玉・人形の博物館(10時22分着)→岩槻藩遷喬館
(10時40分→酒蔵資料館(10時55分)→諏訪神社(11時30分)→岩槻城址
(12時00分)(見学時間30分)→お花見宴会12時30分開始(2時間)
参加費用・・ 2500円 (おつまみ+アルコ-ル飲料)
旅行傷害は平地なので加入しません。もし必要な方は申し出ください。
昼食は各自用意のこと。交通費各自負担
持ち物・・・昼食・飲み物・レジャーシ-ト・タオル・雨具・その他各自必需品
申込期限・・3月24日(金)厳守
申込先・・・幹事 菊地一行
Email: kikutian@nifty.com